日本を代表する真言密教の聖地「高野山」にある恵光院は、平安時代の前期にお大師様がこの地に五重の宝塔を建立し、弟子の道昌僧都が諸人のご廻向(先祖のご供養)を行ったと伝えられている、創建1200年の高野山真言宗の古刹です。
恵光院では、どなたでもお大師様のそばでご供養をさせていただけるよう、供養料15万円からの「永代供養」、納骨料5万円からの「ご納骨」を承っており、心をこめたご供養をさせていただいております。
恵光院の「永代供養」「ご納骨」では、宗派、宗旨を問わず、どなた様でもご供養させていただきます。
すでに菩提寺に納骨された故人様のご供養も可能ですし、授与された戒名がある場合は、例え他宗派の戒名であったとしても、その戒名のままでご供養させていただきます。
当院は、弘法大師様が御入定さに今も瞑想を続けておられる聖域である高野山「奥の院」一の橋入り口近くにございます。
古来より弘法大師様を、お慕いされた方々が、こぞって永代供養塔を建立されて、ご先祖様の菩提を弔いました。
今日では、高野山の寺院に、永代供養のお位牌をお祀りすることで、お大師様のそばでご供養をするようになってきており、ここに御先祖様の永代供養、ご納骨をおすすめいたします。
ご先祖様やご関係のある方々の諸精霊のご冥福を祈りつつも日常の忙しさに忘れがちになるのが人の常です。
お大師様ご入定の高野山へのご参拝を機会に、ご縁ある亡き人達のご廻向をされて共にご利益をいただいてください。高野山においては宗旨・宗派は問いません。
ご廻向をされる精霊は永く当院においてご供養ができますと共に、貴氏のお名前も永代過去帳に記入され、ご参拝されたことが後々まで記念としてのこり、また証文をお持ち帰りいただけます。
15万円以上
20万円以上
70万円以上
150万円以上
300万円以上
お預かりさせていただきましたご遺骨は、当院の本堂納骨堂にて1年間拝ませていただいた後、御大師様ご入定のお膝元「奥の院・納骨堂」へ納骨いたしますが、当院では位牌、過去帳等で永代にわたってお祀りいたしよす。
「永代供養」のみでも大丈夫です。
菩提寺のご遺骨はそのままで、御位牌を当院にてご供養させていただきます。
問題ございません。
宗派、宗旨を問わず、どなた様でもご供養させていただきます。
檀家になる必要はございません。
信者様としてお参りいただけます。
可能です。
生前申込みをされて、ご自分の将来に対する不安が軽減し、穏やかに過ごされている方が数多くいらっしゃいます。
年忌法要も受け付けております。
年忌のご案内は、お葉書でさせていただきますので、お参りください。
基本的には旦那寺様でいただくものですが、特にご縁のお寺様がなければ、当院で「生前戒名」をお授けさせていただきます。
大丈夫です。
宗派を問わず、その戒名のままご供養させていただきます。
位牌を建立する時にお納めいただきますが、事前に納めていただくことも可能です。
平安時代の前期にお大師様がこの地に五重の宝塔を建立し、弟子の道昌僧都が諸人のご廻向(先祖のご供養)を行ったことから、廻向院と呼ばれていました。
宝永年中(1704〜1711年)頃、徳川八代将軍吉宗公の命により現在の「恵光院」に改めました。
延慶元年(1308年)には、京都の東寺より量調阿闍梨が当院へ転任され再興し、永禄(1558〜1570年)の初め頃になって、薩摩藩十七代当主島津兵庫頭義弘と縁を深め檀那関係にありました。
また明智光秀の菩提寺でもあります。
山内を見渡せる高台に本堂があり御本尊は「阿弥陀如来」「弘法大師」「不動明王」をお祀りしています。
また、毘沙門堂にはお大師様作と伝えられる「毘沙門天」を御本尊に「不動明王」「愛染明王」を併祀。
脇に安置される「不動明王」はお大師様が唐に渡った際、航海の安全を守ったことから、『舵取り不動』の名がつけられています。
仏教は、今から2500年ほど前にインドで釈尊仏陀(ガウタマ・シッダールタ)が悟りを開かれたことを出発点とした「釈尊仏陀の教え」であり、キリスト教やイスラム教と並んで世界三大宗教に数えられています。仏陀(Buddha)とは「目覚めた人」という意味であり、心の豊かさについて、どうやって心の悩みや苦しみをなくすか、どうやって完全な人格を作るかという方法を教えました。
「仏教は人間学だ」と表現されている先生もいらっしゃいます。まさしく理にかなったお言葉と思います。
当時の仏教は無神教(むしんきょう)といったほうがよく、神の崇拝や釈尊仏陀自身を仏として崇拝することを許しませんでした。
さて、仏教では戒律を遵守する、禅定する、智慧を獲得するという三項目を「三学」と呼び、ことさら「実践する、実行してみる」ことが重要とされました。
初期の教学では三法印(四法印)や十二縁起、四諦八正道(したいはっしょうどう)が、大乗仏教時代になると波羅蜜(はらみつ)、仏性・如来蔵思想などが展開していきました。
インドで生まれた仏教は、やがて、中央アジアを通って、中国、モンゴルなどに伝わり(これを北伝仏教といいます)、その後、朝鮮半島を経由して6世紀頃日本に伝来したとされています。またインドからセイロン(現スリランカ)を経由した仏教は、11世紀にはビルマ(現ミヤンマー)やタイへと伝わりました(これを南伝仏教といいます)。
このように仏教は世界各地へ広がりますが、弘法大師・空海(くうかい)によって開かれた真言宗は、仏教の中でも比較的中期から後期にかけて展開された「密教」であるといわれます。
真言宗は、弘法大師空海が平安時代初期に大成した真言密教の教えを教義とする教団です。
真言密教の「真言」とは、仏の真実の「ことば」を意味していますが、この「ことば」は、人間の言語活動では表現できない、この世界やさまざまな事象の深い意味、すなわち隠された秘密の意味を明らかにしています。
弘法大師は、この隠された深い意味こそ真実の意味であり、それを知ることのできる教えこそが「密教」であると述べています。
それに対して、世界や現象の表面にあらわれている意味を真実と理解している教えを「顕教(けんぎょう)」と呼んでいます。「顕教」とは、声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)の教え(二乗)と法相宗、三論宗さらに天台宗、華厳宗などの大乗仏教を指しています。
密教と顕教の違いは、いくつか指摘できますが、もっとも根本的な違いは、この隠された秘密の意味を知る修行のあり方(修法・しゅほう)にあります。真言密教の修法を三密加持(さんみつかじ)とか三密瑜伽(さんみつゆが)などと言いますが、精神を一点に集中する瞑想(三摩地・さんまじ)のことです。
特徴としては、仏(本尊)の身(み)と口(くち)と意(こころ)の秘密のはたらき(三密)と行者の身と口と意のはたらきとが互いに感応(三密加持)し、仏(本尊)と行者の区別が消えて一体となる境地に安住する瞑想を言います。弘法大師は、このあり方を仏が我に入り我が仏に入る、という意味で「入我我入(にゅうががにゅう)」と呼んでいます。弘法大師は、顕教にはこの入我我入とも言うべき瞑想が欠けていると述べています。
もっとも、平安時代後期から鎌倉時代にかけて登場する新仏教については、真言密教の教学や修法の影響を受けていると考えられますので、一概に顕教には瞑想が欠けているとは言えません。
もう一つ顕教との違いをあげると、仏や菩薩についての理解があります。顕教の仏や菩薩などは、さとりを開いたり、さとりを求める「人」ですが、密教の仏や菩薩たちは、宇宙(法界)の真理そのもの(法)です。
その「法」が身体的イメージとしてとらえられているのが仏や菩薩なのです。密教の仏や菩薩たちを法身仏(ほっしんぶつ)と呼ぶのはそのためです。
弘法大師は、この法身仏つまり法界の真理そのものが、わたしたちに直接真理の智慧(ちえ)を説いているあり方を「法身説法(ほっしんせっぽう)」と述べています。この智慧の説法を聞く時空が三密加持(入我我入)の境地ということになります。
その意味で、真言宗とは、仏と法界が衆生(しゅじょう)に加えている不可思議な力(加持力・かじりき)を前提とする修法を基本とし、それによって仏(本尊)の智慧をさとり、自分に功徳を積み、衆生を救済し幸せにすること(利他行・りたぎょう)を考える実践的な宗派と言えます。
寺院名 | 高野山 準別格本山 恵光院(えこういん) |
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宗派 | 高野山真言宗 |
住職 | 近藤 説秀 |
住所 | 〒648-0211 和歌山県伊都郡高野町高野山497 |
アクセス | 南海電鉄高野線「高野山」駅下車→南海りんかんバス「刈萱堂前」停留所から徒歩5分 |
TEL |
0736-56-2514 0736-56-2514 |